山陰本線の車窓には、日本海と響灘が織りなす雄大な海景が広がっている。切り立つ岩礁、静かな入り江、季節ごとに表情を変える海の色。その風景を縫うように走る列車がある。萩(は)・長門(な)・下関(し)――三つの地名を重ね合わせた観光列車、「○○のはなし」だ。
列車で巡ることで、ただ風景を見るだけではなく、土地ごとの歴史や文化、食、そして人の気配に触れてほしい。そんな思いが、「はなし」という名に込められている。車窓に流れる海とともに、「は・な・し」という音の連なりが、旅をひとつの記憶として静かに刻み込んでいく。
○○のはなしは、風景とともに、その時間を静かに支える存在と並走しながら進んでいく列車でもある。
「○○のはなし」が走る山陰本線は、本州最西端に位置する山口県北部を横断する路線だ。新下関駅を起点に、川棚温泉や特牛(こっとい)、阿川といった小さな駅を経て、長門市、萩、終点・東萩駅へと至る。車窓のすぐ向こうには、日本海の水平線が続き、港町や漁村の佇まいが寄り添うように現れる。
運行は、土曜・日曜・祝日を中心に行われる。晴れた日の青い海、曇天の下で鈍く光る水面、冬には低い陽射しが海を黄金色に染めることもある。同じ路線を走っていても、季節や時間によって、まったく異なる表情を見せる。その変化こそが、この列車の大きな魅力のひとつだ。
○○のはなしは、2両編成の観光列車として運行されている。1号車は和風を基調とした空間で、海側には4人掛けのボックス席や2人掛けのテーブル席が並ぶ。山側にも2人掛けの席が配され、少人数でも静かに車窓を楽しめる設えだ。畳調の意匠や木の質感が、どこか旅館の一室を思わせる。
一方、2号車は洋風のデザイン。全席が海側に向いたテーブル席となっており、視線の先には、遮るもののない日本海が広がる。照明はやや落とされ、昼間でも落ち着いた空気が漂う。その空間は、景色を「見る」だけでなく、時間そのものに身を委ねるための場所として設えられている。
車内では、風景に合わせて、人の動きも自然と変わっていく。海が近づく区間では、自然と立ち上がり、窓辺に寄る人の姿が増える。「額縁のようだ」と言われる車窓を前に、カメラを構える人、ただ黙って海を見つめる人。車内空間は、風景に応じて、静かに使われ方を変えていく。

木の温もりに包まれた、1号車の和空間

海に向かって座る、2号車の洋空間

車窓が額縁のように切り取る、日本海の景色
○○のはなしの魅力は、風景だけにとどまらない。車内では、沿線の食や文化を映し取った味わいが、旅の時間に寄り添う。事前予約制の「夢のはなし弁当」は、老舗料亭が手掛ける一品。日本海の恵みを取り入れた内容は、下関から東萩までの道のりと静かに呼応する。
そのほかにも、萩の洋菓子店によるスイーツセットや、阿川駅のキオスク「Agawa」で受け取れる、地元の新米や地どりを使った「お米サンドBOX」など、駅や地域ごとに異なる「はなし」を感じさせる味が揃う。
車内では、日本酒とおつまみを楽しみながら、ゆっくりと景色を眺める人の姿も多い。グラスを傾け、言葉少なに海を見つめる時間。その静けさが、列車の空気をさらに穏やかなものにしていく。

旅路に寄り添う、事前予約制の「夢のはなし弁当」

阿川駅で受け取る、地元食材の「お米サンドBOX」
○○のはなしは、停車駅ごとに異なる物語を抱えている。下関では、角島大橋へと続く海の景色があり、長門では、元乃隅神社の鳥居越しに望む日本海の絶景が待つ。萩では、城下町の静かな町並みが、時間を遡るような感覚をもたらす。
その途中、阿川駅では、列車の停車時間に合わせてキオスク「Agawa」が開く。営業はわずか10分ほど。列車が到着すると同時に注文が入り、ドリンクを淹れ、セットを仕上げ、再び列車が走り出すまでにすべてを届ける。限られた時間のなかで交わされるやり取りには、ライブのような緊張感と高揚感が宿る。
アテンダントによる車内アナウンスをきっかけに、初めて降り立つ人も多く、駅と列車、そして人が一瞬でつながる。その刹那的な濃度こそが、阿川という停車駅の「はなし」を際立たせている。
車窓から眺めるだけでなく、列車を降り、その土地の空気に触れることで、旅は風景から体験へと変わっていく。同じ路線を走っていても、どの駅で立ち止まるかによって、旅の輪郭は大きく変わる。○○のはなしは、そうした選択のひとつひとつを、「はなし」として受け止めてくれる列車だ。
この列車には、毎回同じ日本海の風景に向き合いながらも、その都度新鮮な気持ちで旅に立ち会う人がいる。アテンダントとして車内に立ち、「今日の海はきれいですね」と声をかけるその何気ない一言が、車内の空気をやわらかくほどいていく。冬の夕方、低い陽射しに染まる海の表情は、何年経っても特別な瞬間として、旅の余韻に静かに重なっていく。
○○のはなしは、単なる移動手段ではない。風景、空間、味わい、そして人との触れ合いが重なり合い、ひとつの物語として紡がれていく旅だ。同じ路線を走っていても、季節や時間、誰と乗るかによって、出会う「はなし」は変わる。だからこそ、この列車には、何度も乗りたくなる余白が残されている。
美しい海岸線が続く山陰本線の上を走りながら、○○のはなしは今日も、それぞれの旅人に異なる物語を語りかけている。
人、まち、社会の
つながりを進化させ、
心を動かす。
未来を動かす。