SIDE STORY01
「〇〇のはなし」のはじまりを語る。
「〇〇のはなし」は、山口県西部の海沿いを走る観光列車です。日本海から響灘、そして瀬戸内海へ──海の表情が少しずつ変わっていく風景の中を、萩(は)・長門(な)・下関(し)の三つのまちを結びながら進んでいきます。
車窓に広がる美しい海景に加え、車内イベントや停車駅でのささやかな交流、沿線の食や文化との出会いも、この列車の大切な要素です。そうした一つひとつが重なり合い、旅の時間そのものが、ゆっくりと物語になっていく。その姿を表すように、「〇〇のはなし」という名前には、地域に息づく物語だけでなく、乗る人それぞれが旅の中で出会う体験も、一つの「はなし」として持ち帰ってほしいという思いが込められています。
今回お話を伺ったのは、「〇〇のはなし」の立ち上げに携わったJR西日本中国統括本部広島支社地域共生室(以下、JR西日本)の古村涼さん。コンセプトを練り上げた日々、ネーミングやデザインに込めた思い、そして運行開始から今日に至るまでの歩み――その「はじまりのはなし」に迫ります。
ご家族で阿川駅を訪れた古村さん(右)
〇〇のはなしが生まれるきっかけは、前身であった「みすゞ潮彩」の老朽化だった。車両の改造が必要となり、列車のあり方そのものを見直す議論が動き出した。みすゞ潮彩は、一両が観光指定席、もう一両が一般席という構成で、通勤にも対応する列車として運行されていた。改造の検討が進む中で、列車全体を観光専用へと整える案が浮上し、運行区間やネーミング、デザインまで見直す動きへと広がっていく。
議論は、どの区間を走らせるか、どんな体験を提供するかという根本的な部分から始まった。みすゞ潮彩の運行区間は新下関~仙崎だったが、長門湯本温泉や萩温泉郷といった観光拠点も結ぶため、東萩まで延伸することを決定。また、列車そのものを「地域を感じる場」にするという発想も生まれ、その実現に向けた仕組みづくりが進んでいった。車内にはマイクを設置し、地域の人たちが乗り込んで、萩・長門・下関の歴史文化や観光、特産品にスポットを当てたクイズなどのイベントを行えるように整備。さらに、沿線の事業者が手がけるお弁当やスイーツを事前予約で楽しめる仕組みも整えられた。
こうしたコンセプトづくりはJR西日本だけで進められたわけではない。萩・長門・下関の三市と連携し、「地域の魅力をどのように旅の体験として届けるか」をともに検討していく中で、見て・聞いて・味わう時間を道中で楽しめる観光列車の姿が少しずつ形となっていった。
地域の人とともにつくる、車内イベントのひとコマ
次に取り掛かったのは、コンセプトを「名前」と「姿」に落とし込む作業だった。ネーミングは最後まで難航したが、議論を重ねた末に「〇〇のはなし」に決定。乗客それぞれが萩(は)・長門(な)・下関(し)をめぐる旅の中で出会う風景や出来事を、「自分だけのはなし」として持ち帰ってほしい。そんな思いから、あえて特定の語を入れず、余白を残した名前が選ばれた。
デザインについても、土地の特性をどう表現するかが軸になった。かつて長州藩は西洋文化をいち早く取り入れた地域であり、日本海・響灘・瀬戸内海という三つの海に囲まれた地理は、外の文化を受け入れる入り口でもあった。
そうした背景をもとに、1号車は「西洋が憧れる日本(和)」を、2号車は「西洋に憧れた日本(洋)」をテーマにデザイン。両車両の間は青色でつながれ、「和と洋をつないだ海」が表現された。内装も外観に呼応し、1号車は座敷席で旅館のような落ち着いた空間、2号車は赤張りのソファが置かれサロンのような雰囲気に。車内で異なる世界観を持つ構成は珍しく、JR西日本社内でも話題となった。
こうした多くの工程を経て、2017年8月に〇〇のはなしは運行を開始。出発式には地域の人々が集まり、手を振って列車を見送ってくれたという。その光景は古村さんにとって忘れられないものになった。地域とともにつくり上げた列車が、地域に迎えられて走り出す姿は、これまで積み重ねてきた時間の確かさを象徴するようだった。
和と洋をつなぐ海を表現した、〇〇のはなしの青い車体
〇〇のはなしの大きな魅力は、車窓に広がる海景の変化だ。区間はもちろん、天気や季節によっても見え方が異なる。その中でも古村さんが特に推すのは、海の色が明るく映える初夏の時期。日差しも強すぎず、海の美しさを存分に楽しめる季節だ。一方で、冬の夕刻も見逃せないという。真っ赤に燃える夕日が日本海に落ちていく光景は、車内に静かな感動を呼び起こす。「何度でも乗車して、その日、そのときだけの景色に出会ってほしい」と古村さんは話す。
車内のつくりも、こうした景色を最大限楽しめるように工夫されている。海側には鉄道車両の中でも最大級を誇る大きな窓が設けられ、視界いっぱいに海を取り込むことができる。海側席が人気なのは確かだが、古村さんが特に好んで座るのは山側席だ。窓枠が額縁のように景色を切り取り、山肌や家並みが一枚の絵画のように立ち上がるからだ。
さらに、旅の楽しみを広げてくれるのが、沿線事業者が手がける予約制の食事とスイーツだ。老舗料亭の特製弁当や、下関の酒造が手がけた日本酒とピクルスのセット、萩の人気洋菓子店によるスイーツセット、地域の食材を詰め込んだお米サンドBOXなど、どれもこの土地でしか味わえないものばかり。車窓の景色とともに楽しむことで、旅の体験に奥行きが生まれる。
また、〇〇のはなしは観光列車でありながら、乗車・指定席料金が手頃であることも特徴だ。豪華観光列車が増える中で、利用しやすい価格帯を守っているのは、「期待以上の体験で驚いてほしい」という思いがあるから。親しみやすい価格設定と、想像を超えてくる満足感。このバランスこそが、多くの乗客を引きつける理由の一つになっている。
時とともに表情を変える、車窓の海
変化に富む海景と、それを楽しむための設え。沿線の味を伝える食事、そして手頃な価格。そうした多彩な魅力から、〇〇のはなしにはリピーターも多い。古村さん自身も仕事、私用を問わず何度も乗車しており、「乗るたびに満足感が得られる」と笑顔で語る。
立ち上げの段階から携わってきた古村さんにとって、〇〇のはなしは単なる列車ではない。コンセプトを練り上げた日々、ネーミングやデザインに向き合った時間、そして出発式で地域の人が手を振り見送ってくれた光景。その一つひとつが鮮やかに胸に残っている。
そして今は、車内で生まれるささやかな瞬間が、さらに思いを育てている。窓いっぱいの海に思わず声を上げる人、沿線の味をゆっくりと味わう人、座敷席で遊ぶ子どもたち、赤張りのソファで記念日を祝う夫婦。
誰かの旅の一場面が、列車の物語に静かに重ねられていく。「好きというより、愛に近い。無償の愛ですね」と思いが自然にこぼれる。そのまっすぐな言葉に、〇〇のはなしが愛され続ける理由の一端を見た気がした。
古村さんの思いと地域の物語を乗せ、沿線の人と旅人をそっと結びながら、乗る人それぞれの「はなし」を育んでいく。〇〇のはなしはこれからも、変わりゆく景色とともに、その物語を紡ぎ続ける。
これからも、地域と向き合い続ける
人、まち、社会の
つながりを進化させ、
心を動かす。
未来を動かす。