萩市/山口

家業をつなぎ王道の酒造りを貫く
「0杯から1杯へ」の思いを込めて
東洋美人という名の、まっすぐな挑戦

萩市/山口

澄川 宜史_澄川酒造場

2025.05.28

山口県萩市の山間にある「澄川酒造場」。1921(大正10)年の創業以来、奇をてらわず、伝統製法を守った王道の酒造りを続けています。銘柄は初代当主が亡き妻を思って名付けたという「東洋美人」のみ。東洋美人はフルーティーかつ華やかな香味が特徴で、首脳会談の夕食酒にも選ばれました。

株式会社澄川酒造場の代表取締役社長を務める澄川宜史さん。4代目蔵元杜氏として家業を継ぎ、東洋美人を人気銘柄に育て上げました。しかしながら、ここまでの道のりは決して平坦なものではなかったといいます。澄川さんが4代目に就任したのは、家業として受け継がれてきた酒蔵の多くが厳しい経営環境に置かれていた時代。2013(平成25)年には大水害によって蔵の1階部分が流され、廃業の危機にも陥りました。そうした逆境の中でも失われることがなかった、澄川さんの酒造りに掛ける思いとは。澄川酒造場の歴史や東洋美人の魅力も深掘りしながら、お話を伺いました。

思いを語る、4代目蔵元杜氏の澄川さん

家業の酒蔵に生まれたという自負

米問屋であった澄川家が親戚筋の酒蔵を引き受けて創業したという澄川酒造場。澄川さんは物心ついたころから、実直に商売を続ける父の背中を見て育った。当時の酒蔵は斜陽の時代を迎えており、その多くが代をつなぐことなく失われていたため、家業を継ぐという明確なビジョンを描いていたわけではない。一方で、酒蔵に生まれたという自負はあったと振り返る。

やがて、澄川さんは東京農業大学醸造学科に進学。在学中の学外実習により、山形県の酒造で研鑽を積む機会を得た。そこで技術的な面のみならず、酒造りの姿勢を学んだという澄川さん。経営難により酒蔵の数が減少していた時代にあって、かつては分業制であった経営と製造の現場を一体化し、伝統製法を守りながら酒造りに邁進する人々の姿が、その後の澄川さんに大きな影響を与えたそうだ。

萩市の山間にある、澄川酒造場

手掛けるのは自身が美味しいと思う酒

澄川さんが4代目蔵元杜氏に就任したのは2004(平成16)年のこと。以降一貫して、伝統産業たる酒造場の代をつなぐという責務と向き合いながら「自分自身が美味しいと思う酒」を造ることに情熱を注いできた。売り上げ重視で時代の流れに迎合するのではなく、自らの軸で「どういう酒を造りたいか」というイメージを具体化し、そこから逆算して酒を造っていく。あくまでも伝統製法を守ったうえで、追い求める酒の再現性を高めるために、理に適った機械化は進めていったという。

美味しさと品質を兼備したこだわりの酒を造り上げる一方で、東洋美人は人々の身近なお酒であってほしいとの思いも強かった。「僕自身も楽しく飲むことが好きですから、東洋美人は居酒屋の酒でありたいと考えているんです。ハレのときに寄り添えるお酒を造りたいという思いで商品を手掛けてきました」と語る澄川さん。日本酒文化を伝えゆくためにも、良いお酒を身近なものとして楽しいんでほしいと願いつつ、自らが納得できる酒を造り続けている。

伝統製法を守りつつ、効果的な機械化を推進している

フルーティーな香味が魅力の「東洋美人」

フルーティーな香味と優しいお米の味わいが感じられる「東洋美人」。まさに、澄川さんが飲みたい酒を体現した銘柄だ。同時に、みずみずしい透明感のあるのど越しで、日本酒に親しみのない人でも飲みやすい。日本酒を飲んでいなかった人たちが、その魅力に出会うきっかけになりたいとの思いを込めて「0杯から1杯へ」という目標も掲げてきた。近年フルーティーな日本酒は一つのトレンドとなっているが、これは美味しい酒を追求する澄川さんら先人たちが牽引した潮流といえるかもしれない。

なお、東洋美人には「東洋美人 地帆紅(じぱんぐ)」「東洋美人 純米大吟醸 壱番纏(いちばんまとい)」「東洋美人 限定純米吟醸 醇道一途(じゅんどういちず) 山田錦」などのラインナップがある。その他の商品についても知りたい方は、澄川酒造場の公式サイトを併せてチェックしてほしい。

山口の代表的な銘柄のお酒「東洋美人」

大水害からの奇跡的な復活

澄川さんが4代目蔵元杜氏に就任して10年程経つと、東洋美人は各種コンペティションにおいても高く評価されるようになった。澄川さん自身も確かな手応えを感じていたが、同時期に澄川酒造場を集中豪雨が襲う。川の水が溢れて酒蔵は床上浸水し、蒸し器といった機械は使用不可能な状態に。冷蔵庫に瓶貯蔵していた1万本以上の日本酒も流されるなど、壊滅的な被害が出た。

絶望的とも思える状況で澄川さんを支えたのは同業の仲間たちだった。被災を知った1500人以上が復旧作業に加わったという。「酒蔵はライバルだと思われがちですが、同じ時代を生き抜いてきた同志という意識も強いんです。蔵を潰してはいけない、代をつながなくてはいけないという思いで集まってくれたんじゃないかな」と噛み締めるように言葉を紡ぐ澄川さん。水害の翌年には地上3階建ての新酒蔵が完成し、澄川酒造場は奇跡の復活を果たした。

改めて酒蔵の内部を案内してもらうと、最新の機械が搭載されていることに驚く。水害を経て従前の製造量や売り上げのままでは立ち行かない状況になったため、覚悟を決めて設備投資に踏み切ったそうだ。現在はこちらの酒蔵で年間を通して酒造りが進められている。ただ、いくら機械が揃っていても原料の状態や気候の変化によらず、酒質を一定に保つことは容易ではない。整った設備と確かな技術、経験に基づく澄川さんの感性が融合し、澄川酒造場ならではの酒が完成する。

水害当時の思いや感謝を忘れないために記念碑が設置されている

山口県の地酒を家業として造り続ける

現在、澄川酒造場の製造量は水害前の約3倍になっている。それでも、すべての注文に応えられない状況が続いているそうだ。自身の感性を軸に据えながらも、酒造りに自らのロマンや物語性を投影することは避けているという澄川さん。あくまでも根拠あるデータや数値を重視し、必要に応じて機械化を進めるなど、理に適った酒造りに注力しているからこそ、澄川酒造場の酒は多くの人々の心に響く味と品質を担保できているのだろう。

今後の展望について伺うと「水害を経てあまり先のことは考えず、今を一生懸命に生きるよう意識するようになりました」としながらも、酒造家として今までにない価格帯の酒を手掛けることにチャレンジしたいとの答えが返ってきた。とはいえ、企業ではなく、家業の酒蔵であり続けることにこだわりたいという。また、より世界を視野に入れた展開を望まれることも多いが、山口県の地酒というあり方も大切にしていきたいとのこと。東洋美人が人気銘柄として成長を遂げた今、かえって地元感に目を向けることが、一種の拠り所となっている様子だ。これからも山口県をベースとして、今このときを懸命に走り抜けることで、更なる進化を目指していく。

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