職人の手仕事が息づく針工場
ミクロン単位の技が光るプローブ工場
どちらにも通う「お客様が喜ぶものづくり」
職人の手仕事が息づく針工場
ミクロン単位の技が光るプローブ工場
どちらにも通う「お客様が喜ぶものづくり」
広島市/広島
2025.06.11
広島は、手縫針、まち針の全国シェア9割以上を占める、日本一の針の産地です。その代表的な企業の一つ、チューリップ株式会社の製品は55か国あまり(2024年時点)にも輸出されるなど、世界有数の産地としても知られています。
その始まりは、約300年前の江戸時代。県北西部にある加計(現在の安芸太田町)は、中国山地の大砂鉄地帯に位置し、たたら製鉄の中心地でした。その鉄を利用した針づくりを、広島藩主の浅野家が下級武士の手内職として奨励したことが、きっかけとされています。その後、機械化などを経て広島の製針業は発展し、2008(平成20)年には、「広島針」として商標登録もされました。
広島市に本社を構えるチューリップ株式会社は、広島針の代表的な針メーカーの1つです。針づくりとゆかりの深い加計の地に「加計工場」を設け、手縫針のほか、かぎ針やレース針などを製造し、国内外に販売しています。また、2017(平成29)年に完成した「加計附地工場」では、針づくりの技術を応用した電子製品検査プローブの製造も行っています。
創業以来、着実に成長を遂げてきたチューリップ。その背景には「お客様が喜ぶものづくり」という信念があるといいます。2つの工場を見学させていただきながら、代表取締役社長の原田耕太郎さん、取締役工場長の迫誠志さん、経営企画室の二宮香奈さんにお話を伺いました。
加計工場で思いを語る、代表取締役社長の原田さん
耕太郎さんの父・穆(あつし)さんと祖父・繁人さんが、原爆で焼け野原となった広島市横川町に、鉄工所を創業した。当時の広島は復興の只中にあり、製針所の中にも針づくりを再開するところが現れていた。そうした製針所から、穆さんたちの鉄工所に機械の修理依頼が入るようになる。一度は原爆で途絶えたものの、諦めずに復興を目指す製針所の姿に触れる中で、「歴史ある広島針の産地をもう一度」という思いが、穆さんたちの中に芽生えていった。そして1948(昭和23)年、広島市楠木町において創業。1963(昭和38)年には、株式会社原田製針所が誕生した。
チューリップ株式会社へと社名を変更したのは1970(昭和45)年のこと。社名変更の15年前、穆さんは神戸にあった商社の紹介で、トルコのメーカーが所有していたレース針「チューリップブランド」の商標を取得した。現在の価値で3,000〜4,000万円に相当する高額な取得金にも関わらず、穆さんが踏み切ったのは、トルコのレース針市場に参入するため。当時の広島では、約40社の製針所が立ち上がり、縫針の市場競争は激化していた。一方トルコでは、結婚の際、自ら編んだレース編みの作品を持参する習慣があり、チューリップブランドのレース針に高い需要があった。こうした背景から原田製針所はトルコ市場へ展開を進め、社名もチューリップへと変更することとなったのだ。
現在、チューリップでは、手縫針やまち針、レース針、かぎ針など、多様な手芸用針を製造・販売している。国内外に市場を持ち、多くの人に親しまれているが、その成功のきっかけとなったのは「キルト針」の開発だった。1990(平成2)年、会社を引き継いだ耕太郎さんは手縫針の営業に奔走したが、「他にもある」と断られることが多く、苦戦が続いていた。そんな中、偶然、東京ドームでの東京国際キルトフェスティバル開催を知り、営業に出向く。
キルト手芸は表布と裏布の間に綿を挟んで縫い合わせていくため、針が曲がりやすく、折れやすい。会場では「もっと丈夫な針があれば」という作家の声が多く聞かれた。この声を聞いた耕太郎さんは、作家の悩みを解決したいと思うと同時に、そこに大きなチャンスを見出した。手付かずの市場に優れた針を届けることができれば、競争相手との差別化につながると考えたのだ。広島に戻ると、すぐに研究開発に着手。これまでに培った職人の技と数値にもとづく技術力を生かし、曲がりにくく、折れにくいキルト針を完成させた。完成品を作家に試してもらったところ「曲がりにくく、折れにくく、縫いやすい」と評判になり、キルト針は徐々に売り上げを伸ばしていった。
「この経験は、私たちに『お客様が喜ぶものづくり』の大切さを教えてくれました」と耕太郎さん。そこからチューリップでは、今まで以上に展示会や販売店へ社員が直接足を運び、お客様との関係構築に努め、要望を反映した新たな針の開発を手掛けていく。その結果、多様な手芸用針が誕生し、業績も好調となった。
チューリップの手縫針は、尖った先端による布通りの良さが特徴。さらに、一部の製品ではボディに細かな縦筋を施すことで抵抗を抑え、よりスムーズな縫い心地を実現している。また、かぎ針は糸が外れにくいよう、先端の角度を工夫している。
「中でも自信作は、セルまち針。家庭科の裁縫箱に入っている、あの花形のまち針です」と二宮さん。頭部を薄い花形にし、その裏面をセルロースの紙素材にすることで、鉛筆で名前が書けるようにしている。子どもが持ちやすく、転がり落ちず、持ち主がわかる優れものだ。また、迫さんによれば「編み物用のかぎ針『エティモ』も工夫が光る商品です。クッション性のあるグリップで指への負担を軽減しています」とのこと。ボディが金属のかぎ針は長時間使うと「編みダコ」ができることもあるが、エティモは手に優しい設計になっている。ある編み物作家が制作期間中に指を骨折。提出期限が迫る中、他のかぎ針では編み進めることができなかったが、エティモだけは例外だった。無事に作品を仕上げ、「編みやすい針」と絶賛の評価を受けたという。
既成概念にとらわれず、独自の手芸用針を生み出してきたチューリップ。その姿勢が最も表れているのが、1980(昭和55)年に開始した「電子製品検査プローブ」の製造・販売だ。「加計附地工場」には電子顕微鏡など最新設備が整い、基板の動作などを検査するための針「プローブ」を高精度で製造。一方、手芸用針専用の「加計工場」には、昔ながらの機械が並び、職人技が息づく。まるで別会社のような両工場だが、どちらも根底にあるのは伝統的な針製造技術と先端技術を融合し、「お客様が喜ぶものづくりを」という信念だ。そもそもプローブの製造に参入したのは、ある検査機器メーカーから「基板検査に使う8mmの針が見つからず、困っている」と相談されたことがきっかけ。「なんとかつくってあげたい」と応えた結果だった。
当時を振り返りながら、「縫い針からここまで来ちゃったよ」と笑う耕太郎さん。飾らない言葉には、技術への誇りと、お客様に向き合う情熱がにじんでいた。
長きに渡り愛されている「セルまち針」
チューリップは今後も、「お客様が喜ぶものづくり」を追求していく方針だ。開発力にさらに磨きをかけ、独自性に富んだ多彩な商品を生み出し、「手芸の世界といえばチューリップ」と言われる存在を目指す。
電子製品検査プローブにおいても、社員が一丸となって技術開発に取り組み、ミクロン単位の精密な製造を、より確実に実現できる体制を築いていきたいという。創業者から受け継いだ「針は愛情」という考え方を会社方針の軸として、製造と営業、それぞれが力を高めながら連携し、市場での存在感を一層高めていく考えだ。「伝統的な広島針の技術を守りながら発展させ、新たな針をつくり、届け続けることが、私たちの使命だと思っています」と耕太郎さんは力強く語る。
鉄は国家なり——。伊藤博文やビスマルクがそう述べたように、鉄は近代国家の発展に欠かせないものだった。日本でも、鉄をつくり、使い、そこから多くの産業が生まれてきた。製鉄の歴史ある広島で、チューリップはこれからも「針」を通じて、趣味と産業の両面から社会を支え続ける。
電子製品検査プローブを製造している、加計附地工場
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