幻の萩ガラスを復興
唯一無二のガラスを生み出す
「萩ガラス工房」の妥協なき挑戦の日々
幻の萩ガラスを復興
唯一無二のガラスを生み出す
「萩ガラス工房」の妥協なき挑戦の日々
萩市/山口
2024.05.22
中国自動車道・山口インターチェンジから車で1時間ほど。日本海に臨む国道191号・県道294号を進んでいくと椿群生林で知られる笠山に至ります。そのふもとにある「萩ガラス工房」は笠山で採掘された原石から、硬くて丈夫なカリガラスを生産する国内唯一のガラス工房。高度な技術によって一度は歴史の舞台から姿を消した「萩ガラス」を復興させると共に、上質で個性豊かなガラス製品を手掛けています。
工房に入るとすぐに代表取締役を務める藤田洪太郎さんが出迎えてくれました。ガラスの歴史や原石からの一貫生産について淀みなく語るその姿に、自らを「技術屋」という藤田さんの矜持が垣間見えます。工房内に並ぶのは思わず見入ってしまうほど美しいオリジナル製品の数々。同業者からの見学依頼も絶えません。しかし、ここへ至るまでには試行錯誤の日々があったのだとか。萩ガラスの歴史を紐解きながら、藤田さんの歩みと萩ガラス工房の挑戦について伺いました。
講義を聞いているかのような藤田さんのお話は尽きることなく続く
1860(安政7)年に萩藩士・中島治平が製造を開始した萩ガラス。その質の高さは天皇に献上されるほどの評価を得て珍重されたが、1866(慶応2)年の失火によりガラス製造所が消失してしまう。その後も製造所が再建されることはなく、萩ガラスは製造開始からわずか6年余で廃絶。「幻の萩ガラス」として忘れ去られていった。
萩に生まれて高校まで過ごした藤田さんも萩ガラスの存在を知らなかったという。大学卒業後は関西のセラミックス会社にてエンジニアを務めたが、奇しくも東京で開かれたセラミックスの講演会が萩ガラスと向き合うきっかけになる。登壇した大学教授より初めて萩ガラスの話を聞き、無知を恥じながらも郷里の歴史に感動。強い関心を抱いた。
その後、ニューヨークのコーニングガラス博物館にて「A HISTORY OF GLASS IN JAPAN」という一冊の本に出会う。中には英文で数ページにわたり萩ガラスの詳細が記されていた。驚きと共に「いずれは自分でガラスをやってみたい」という思いが強まっていく。仲間と共に大阪でセラミックスの会社を設立していた藤田さんだが、母の急死を受けて萩との二拠点生活を送ることになると萩ガラスの復興に尽力しようと決意。1992(平成4)年には工房を立ち上げ、関連の古文書を読み込むなどして萩ガラスを蘇らせた。
萩ガラスが掲載されていた「A HISTORY OF GLASS IN JAPAN」
大阪一とほれ込んだガラス職人の協力も得て走り出した萩ガラス工房。藤田さんが培ったセラミックス(窯業)の知識も相まって「石から作る」ガラスを手間暇かけて仕上げていった。素材は国内唯一の石英玄武岩(安山岩)産地である笠山から採掘された原石。日本のガラス作りのほとんどは出来合いの市販ガラス素材を購入するところ始まるが、地元算出の原石を加工して製作する萩ガラス工房のガラスにはその土地ならではの個性が現れる。
工房内で販売されているグラスや醤油さしなどの最終製品を見てみると淡い緑色のものが多く目に留まる。優しくも品のある絶妙な色合いだが、鉄分含有量が高い笠山の石英玄武岩から得られる自然の色というから驚きだ。市販の透明なガラスに着色しているわけではない「玄武岩ガラス」。独自の魅力で高い人気を誇る。
繊細な見た目ながら硬さと丈夫さを兼備している点も萩ガラス工房が手掛けるガラスの特徴だ。こちらの工房では創業当初より最高温度1520℃の窯でガラス作りをしている。国内のその他ガラス工房が1200~1250℃の窯にて取り扱うのは軟質ガラス(ソーダガラス)素材。300℃のエネルギー差が強度の高い硬質ガラス(カリガラス)の生産を可能にする。
石英玄武岩から得られる淡い緑色の「玄武岩ガラス」のグラス
萩ガラス工房は国内で唯一「内ひび貫入(かんにゅう)ガラス」を生産している工房でもある。内ひび貫入ガラスとは異質ガラスを組み合わせた3層構造にて内側にヒビを封じ込めたガラスのこと。熱膨張率の高い素材を内外の硬質ガラスで挟み込み、中間層のヒビを自然発生させる方式を取っている。
この方式は藤田さんがハンガリーにて学んだものだ。渡航が難しかった時代に単身で乗り込み構造を知ると、その後15年にわたる試行錯誤の末に技術を体得した。内ひび貫入ガラスの製作には緻密な熱膨張率の計算と1500℃を超える溶解炉が欠かせない。非常に高度な技術で、理屈は分かっていても簡単に実践できるものではないという。
製作途中で水に入れて強制的に表面のヒビを発生させる通常市販のひびガラスとは違い、萩ガラス工房の内ひび貫入ガラスは熱湯にも耐えうる。コーヒーカップなどとして日常的に使っていると中間層のヒビが自然に「成長」して表情を変えていく。ヒビが入りきるには3年ほどの月日を要するそうだ。自然発生のヒビが描き出すオンリーワンの模様を楽しみたい。
オンリーワンの模様が楽しめる「内ひび貫入ガラス」のグラス
国内最高レベルの品質で、他にないガラスを生み出し続ける萩ガラス工房の製品はさまざまな場所で重用されている。県内の高級ホテルに加えて、JR西日本が運航する豪華寝台列車「TWILIGHT EXPRESS 瑞風」が取り入れた調度品なども大好評を博した。取組当初は萩焼の町でガラスをやるのは無謀と嘲笑も買ったというが、藤田さんが復興した萩ガラスの文化が確かに息づいていることが伺える。
さらに、萩ガラス工房のガラスは県外でも大いに人気を集めている。今や商品の6割は東京の百貨店やセレクトショップに向けて出荷されているそうだ。玄武岩ガラスや内ひび貫入ガラスは「萩ガラス工房 オンラインショップ」でも購入可能。ただし、萩ガラス工房の店舗で買い求めると割安になるという。明治維新胎動の地として知られる萩の観光を兼ねて笠山のふもとにある工房を訪ねてみてはいかがだろうか。
数々の製品と共に藤田さんから技術を学んだ人材も国内外で活躍を見せている。御年80歳を超えてすでに多くの足跡を残した藤田さんは「技術屋としての私の仕事は終わった」と語ってくれた。自身の技術で「もうこれ以上のガラスはできない」という自負もある。一方で良質なガラス製品を提供し続けることに関しては今も余念がない。手間を惜しまず100点満点の製品を作り上げる。一見どこが不良なのか分からないガラスも良しとはしない。「残っていくものだから。令和の萩ガラスはこの程度かって言われたくないじゃないですか」その言葉から萩ガラスの文化を未来へつないでいくことへの責任の重さが感じられた。
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