食堂から懐石料理
そして「あなごめし」へ
この土地で、食を届ける
食堂から懐石料理
そして「あなごめし」へ
この土地で、食を届ける
福山市/広島
2026.05.07
広島県福山市沼隈町に店を構える「甚ごろう」。食堂として始まり、懐石料理店へ。そして現在は、仕出し料理や出張料理、店舗での食事提供に加え、「あなごめし」を中心とした商品づくりなど、複数のかたちで食を届ける店へと姿を変えてきました。
こうした変化は、最初から計画されていたものではありません。その時々の状況に応じて、営業のあり方を見直してきた結果です。沼隈町という場所を拠点に、理想だけにとらわれず、目の前の現実と向き合いながら選び取ってきた歩みが、いまの甚ごろうをかたちづくっています。
代表の渡辺基之さんに、これまでの歩みと大切にしてきた考え、そしてこれからについて伺いました。
店内で思いを語る、代表の渡辺さん
甚ごろうは、1988年に渡辺さんの父・正義さんにより創業された。食堂と弁当の店として歩みを始め、地域の日常を支える店として営業を続けていた。屋号の「甚ごろう」は、彫刻職人・左甚五郎に由来する。左利きだった正義さんは、若いころに訪れた栃木県・日光で左甚五郎の作品に出会い、強く心を打たれた。同じ左利きという共通点に親近感を覚え、自身と重ね合わせるように、その名を店名に取り入れた。
そんな甚ごろうを渡辺さんが継いだのは、今から20年ほど前のこと。当初は父の代から続く食堂を営んでいたが、次第に違和感が大きくなっていった。渡辺さんは、茶道の席で提供される茶懐石料理に魅力を感じ、京都を中心に懐石料理の修行を重ねてきた。その経験があるからこそ、自分が本当にやりたい料理とのズレを感じるようになっていった。
やがて渡辺さんは、営業内容を見直し、懐石料理を中心としたかたちへと舵を切る。1回5名限定で懐石料理の提供を開始したところ、丁寧な料理や接客が評価され、足を運ぶ人が少しずつ増えていった。そして現在の店を構えるに至り、さらに懐石料理を広げたいという思いから、店の全面改装を考えるようになった。
沼隈町に店を構える「甚ごろう」
店の全面改装に向けて準備を進めていた渡辺さん。ところが、そこにコロナ禍が重なった。予定していた改装は中断を余儀なくされ、店の動きも止まってしまう。「この状況でできることはないか」と考え、着手したのが新商品の開発だった。試行錯誤の末に生まれたのが、現在の甚ごろうを代表する商品「あなごめし」だ。
最初の販売場所は、道の駅で開催された地域イベントだった。販売前には、周囲から「今さらあなごめしを?」「この地域で売れるのか」と疑問視する声もあったという。あなごめしといえば宮島の印象が強く、沼隈で売ることに疑問を持たれるのも無理はなかった。
しかし実際に販売すると、用意していた約100食がわずか10分ほどで完売。その反応に、渡辺さん自身驚いたという。「地域の人たちは思っていた以上にあなごめしを好んでいて、宮島まで買いに行っている人もいると気づきました」と当時を振り返る。この経験をきっかけに、渡辺さんはあなごめしづくりに本格的に取り組むようになる。
香ばしく焼き上げた、看板のあなごめし
その後、あなごめしは仕出し弁当として地域の個人や企業向けにも提供されるようになり、認知を広げていった。現在は、店舗での予約制による食事提供に加え、瞬間冷凍によるオンライン販売(自社オンライン、DISCOVER WEST mallなど)もおこない、地域外のリピーターも増えている。
さらに近年では、神石高原町で飼育された希少な神石牛を使った「神石しぐれ煮」や、地域の食材を加えた「沼南ミルクジェラート」などの商品開発にも取り組み、複数の事業を展開している。
当初思い描いていた懐石料理店とは違うかたちになったが、渡辺さんは現状を前向きに受け止めている。「好きな服と、似合う服は違うと言いますが、事業も同じで、自分のやりたいことばかりを追い求めて縛られるのではなく、視野を広く持って柔軟にやっていきたいですね」と微笑む。コロナ禍の停滞と試行錯誤の時間は、いま確かな手応えとなって、かたちになり始めている。
神石牛の旨みを生かした、しぐれ煮
渡辺さんが料理をつくるうえで大切にしているのは、「自分なら、もう一度食べたいと思うかどうか」ということ。あなごめしにおいても、その考えは一貫している。
あなごは生のものを仕入れ、自分の手で焼き上げる。白焼きの状態で仕入れる事業者も多いなか、手間のかかる方法を選ぶのは、納得のいく味わいに仕上げたいからだ。焼き上げたあなごのなかでも、納得できるものだけを選び、あなごめし1食分に贅沢に2尾半を使っている。
味わいを支えるタレも自家製だ。大崎上島の岡本醤油醸造場から仕入れた醤油をベースに、あなごの旨みを引き立てるやさしい味わいに仕上げている。「手間はかかりますが、また食べたいと思ってもらうため、妥協はできません」と渡辺さん。あなごめしには、料理人としてのこだわりが詰まっている。
食後に寄り添う、やさしい甘さのジェラート(沼隈ぶどうと赤しそ)
渡辺さんは、料理人として味に向き合う一方で、地元とのつながりも大切にしたいと考えている。あなごめしのパッケージには、福山市の観光スポットでもある阿伏兎観音のシルエットをあしらっている。また、「沼南ジェラート 沼隈ぶどう」には、地元で育てられたぶどうのシロップを使用している。商品を通じて、この土地の存在が自然と伝わるように意識してきた。
「あなごめしや沼隈ぶどうのジェラートが、この地域を代表するものとして、少しずつ知られるようになれば」と渡辺さんは思いをにじませる。まずは身近な食をきっかけに、土地の魅力に触れてもらいたいという。
今後についても、地域との関わりを意識した展望を描いている。例えば、コーヒーの提供などを通じて、若い人も気軽に立ち寄れる店をつくることで、人の流れが生まれ、地域の活性につながればと考えている。自分の理想に固執するのではなく、状況に合わせて少しずつかたちを変えていく。その柔軟な姿勢は、これまでの歩みそのものでもある。
味に妥協せず、状況に応じて事業のかたちを見直しながら、甚ごろうはこれからも、この土地で食を届けていく。
パッケージにもあしらわれた、阿伏兎観音

〒720-0311 福山市沼隈町草深 48-3 地図を見る
TEL/084-987-1286
営業時間[要事前予約]/11:00~15:00・18:00~22:00
定休日/不定休(1/1~1/3)
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